東側の共産主義ブロックが崩壊すると、その影響はかつてのユーゴスラビア連邦にも顕著な形で顕われた。連邦を構成する共和国が分離独立の意志表明を始め、それを阻止しようとする連邦政府(ユーゴスラビア軍)との激しい衝突が発生した。 特に各民族の構成が拮抗するボスニア・ヘルツェゴビナでは、民族浄化と称する陰惨な大量殺戮が繰り広げられた。新ユーゴスラビア(セルビア共和国、モンテネグロ共和国)内のコソボ自治州でもアルバニア系住民が独立のため抵抗活動を開始し、ユーゴスラビア軍との戦闘に発展。著しい人権の蹂躙がなされているとの理由でNATO(北大西洋条約機構)軍が介入し、ユーゴスラビアに制裁的空爆を実施した。
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